2010年10月11日月曜日

続大菩薩峠・安土の巻/ 海山島の巻 中里海山






続大菩薩峠・安土の巻             中里海山



目もまぶしい葉桜の山道をのっしのっしと、琵琶の湖から安土の城跡めざして登ってくる大男と浪人者の姿があります。大男が図抜けて背の高いのも当然、よく見ると先の一人と見たのは二人、四、五歳の童を肩車したまま急な坂を登ってくるのです。これは甲州有野村、富士と白根にかこまれた別天地からいつ出てきたのか、武州水車小屋番人の与八と机竜之介の遺児郁太郎とに間違えありません。しからばこの三人連れのしんがりを行く浪人者とは何者?
「先生、こう暑いほどの陽気では、わたしどもみたいに無学の者でも夏草やと唸りだしたくなりますね」
「うむ、かの信長公の夢の跡を尋ねて登るのだから、春たけなわとはいえ、夏草やの句がきみの口を衝くのも、あながち場違いとは言えまい」
と、与八にしては珍しい饒舌を無難に受けた浪人者はむろん竜之介ではありません。平形の編笠を被り、肩当のついた黒の紋つきを着て、一刀を無造作に落し差しにした穏かなこの人は過ぐる日、琵琶の湖畔で釣を試みていた青嵐居士その人であります。
安土山(標高一九八メートル、比高一一二メートル)は往時、西の湖、常楽寺湖、伊庭内湖に三方を囲まれ、湖水に突き出た岬のような山で、鬱蒼と茂る草木を分けて吹く琵琶湖の風が汗ばむ肌に心地よい限りでした。見晴台に着くや与八は胸に抱くように吊るしてきた手彫りのお地蔵さまを真ん中に安置して一心に拝みます。郁太郎はとうに与八の肩を降りてどこかで遊びまわっているのでしょう。やがて腰の大きなむすびを頬張り、竹筒の清水で喉を潤す三人を見ます。
「ここはまたひらけたよい眺めだなあ、この下の秀吉公屋敷跡に道庵先生の診療所と図書館を建てて苦学生を集めるのは良い考えだよ。あんなにみなで苦心惨憺した胆吹山の開墾地も一時は閉じてしまって、残念なことに思っていたが、きみが来てから自然と人が集って精を出すものだから、今ではじゃが芋とハト麦のたいそうな収穫が見込まれてひと安心さ」
「はい、弥之助さんが良い知恵をどんどんお出しになって、率先してお働きなさるから、蕎麦も大豆も大根も、南瓜や茄子だって大安心です。伐りだした雑木の炭焼きが上手くゆけば、みな大助かりです」
「うむ、わたしは胆吹の開墾地に今現在活気があるのが何より嬉しいよ。不破の関守氏に頼まれて、上平館の裏手に建て増した大きな土蔵二つに書画骨董の類を数多収めたのはいいけれど、胆吹王国そのものはどうしたものかと案じられてならなかった。きみが来てからおいおい三百人もの老若男女が集って、しかも毎日楽しげに自活している。これはいまどき大変なことだよ」
「わたしこそ琵琶の湖畔で先生に拾われて、午前中は好きな畑仕事、午後は郁太郎さまや子供たちと習い事、夜はお地蔵さまを彫ったり先生方や弥之助さんのお話を聴けるのですから、幸せでございます」
心配したお銀さまの諒解も関守さんの斡旋で難なく取れて、胆吹王国の経済的な後ろ盾には今後は甲州有野村の大尽伊太夫が当たり、その後継者たる与八と郁太郎が当主に納まったのですから万事安心です。青嵐居士、弥之助さん、道庵先生もいます。順風満帆の昨今、胆吹王国は早晩経済的に自立して、何事もなければその余沢が近江はおろか甲州にまで染み出すことでしょう。山科の光仙林のお銀さまと関守さんは乱世の書画骨董蒐集事業を古今東西のあらゆる書物の蒐集にまで拡げて、来る安土山図書館の蔵書を充実せんとし、将来は美術館、博物館の建設をも目論んでいます。お角さんはお角さんで麓に音楽堂と劇場の建設を願っています。いえ、お角さんのことですから早くも興行を目論んでいます。琵琶湖畔で人力飛行機の飛行競争を興行するなんぞはお手の物でしょう。それではかの宇治山田の米友、お雪さん、竜之介、この三人は今頃果たしてどこにどうしているのでしょう?
と、そのとき安土の見晴し台地にサッと影が奔り、天空に飛び去った。これは過ぐる日の狂鳴の夜、お雪ちゃんの目の前で、米友によって解き放たれた胆吹山の大鷲の雛、ではないいまはもう若鷲です。この若鷲が、
「なんだか、大きな人間だなあ」
とばかり、与八の頭上を一巡りして、一足先に胆吹山の塒に帰ってゆきました。



「わしはほれ、この『百姓大腹帳』を腰にぶら下げては諸国廻歴をして、お百姓たる者、満腹せねばならんと、村々のお百姓たちに飢饉への備えを説いてきたのだが、なかなか信用されなくて困った。一応話は聴いてくれても、他国者の言うとおりに新たに畑を起す者はめったにおらんのじゃ」
「そりゃそうじゃ、爺婆の代からやってきた仕様を、なんぼ余所者が言ったかとて、なかなか変えるものではない」
「んだ、んだ」
「がや、がや」
ここは胆吹山上平館の囲炉裏端で、七人のお百姓を相手に、五十がらみ、小肥りに太って、もんぺを穿いた風来人がしきりに話を弾ませている。
「ところがどうだ、与八さんがあの訥々とした話しぶりでジャガタラ芋とハト麦の効用を説いて、種芋と種を配りながらその作り方と栽培法を手取り足取り教えると、やがてわれもわれもと空いた畑にジャガタラ芋を植え、ハト麦の種を撒きだすじゃないか」
明日の朝も早いのに、夜の更けるのも忘れて話し込むこの風来人こそは武州刎村の百姓弥之助でありました。
「わしは負けたよ。与八さんときたら力は十人力で、あんたらも見るとおり、言葉はのろいが黙々と仕事を片して、自分の連れている子の世話ばかりか他所の子供衆の面倒まで見て、一緒に遊んで、手習いまで教えている」
「そうだそうだ、隣村のチエ婆がお上人さまの生れ変りだって拝んでいったのも無理はねえ」
「なあに、隣村ばかりのもんけえ、こないだも、有り難いお地蔵さまを彫って呉れろって、見知らぬ若い衆が見事な槙の材を担ぎ込んだじゃねえけ」
さて、夜もさらに更けたので、
「明日もまた早いぞ」
と、椀一杯の酒をみなに振舞ってお開きにして、弥之助さんは独り炉辺に居残って何やら今日感じたことをこまごまと例の「百姓大腹帳」に記しております。明日にはここ胆吹山に青嵐居士と与八さんが戻ります。雑木、間伐材の薪を簡便に炭焼きするのには何とか成功しましたが、相談したいことがまた山ほど沸いてきました。胆吹王国と言うのなら、この開墾村をほんとうにお百姓さんたちの王国にせねばなりません。



さて、いくら尼法師に無制限の逗留と、無条件の寄食を許されたとはいえ、いつまでもこの老尼と一庵で大人しく痩身を養っていられる竜之介でありましょうか?
旬日も経ぬある夜のこと、寂光院の門から夜明け前の最も深い闇の中へ、ふわりと足を踏み出した白衣の行者があります。覆面をして両刀を落し差し、杖を携えて……、これぞ机竜之介その人でありましょう。庵を出でずして見送る、思いのほか瘠せて面変りした老尼の頬に涙が一滴美しく光っていたことです。
月もなく星もなく雲が低く垂れ込めて風さえない大原の里に遠く鶏鳴が聞えます。いつしか青い闇が辺りを蔽っています。
「ウ、ウウー」
一本道の先で凄まじい唸り声が生じました。七、八メートル先に真っ黒い獣が蟠っています。犬に似て到底犬ではありえない、腸に低く響く物凄い唸り声です。この正体不明の獣の跳躍力からすれば、すでに一刀一足の間合いに入っています。このときすでに竜之介は杖を捨て、いつもの脇差ではなく大刀の鯉口を切りながら身を低くして、そろりと左足を前に出しました。
「まっ、待ったあ! かかるな! 斬るな!」
真っ黒い獣と真っ白い行者に同時に声をかけて、止めに入った怪童があります。見れば左手は獣の片耳をしっかと掴み、右手はこれで行者の必殺の刃を食い止めんとばかりに杖槍をTの字に衝きつけています。杖槍で知れました。子供ではない、これは宇治山田の米友です。薄青い闇にハッタと目を凝らした米友があんぐりと口を開けました。
「お、おめえは、竜之介じゃないか!」
と舌を捲き、その途端に、例によっての地団駄を踏みました。
「そう言うおまえは米友だな」
パチリと早くも竜之介は刀を収めてしまいました。
「お、おめえ、けえってきたのか? ま、いいや、けえんな」
米友はまだ口をパクパク開けながらくるりと身を返してしまいます。竜之介がその後を歩む。これを見送った怪犬はこのとき初めてのそりと歩み始めます。この虎斑の猛犬デンコウは当時日本でムクに次いで強い犬です。速さでは引けをとりません。そのムクはいま太平洋の真っ只中、無名島で活躍もしくは雌伏中です。しかしいかな電光グレートデンでも関守氏は知らぬが一頭よく若獅子を倒すカンガルー犬には敵いません。そのカンガルー犬でも狼を嫁にする甲斐犬には油断すべきではないのです。


続大菩薩峠・海山島の巻                     中里海山



今朝もただ果てしない大海原に目を遊ばせていた駒井甚三郎は、
「そうだ、海山島と名づけてしまおう」
と、思いました。この無名島をです。
「そして無名丸は海山丸とすればよい」
実際には午後一番に衆議にかけて、この島と船の名前を募ったのですが、結局、無名島、無名丸は甚三郎の発案どおり、海山島、海山丸に決まりました。この島第一号の多数決決議がこの命名の件でありました。
いまでは周囲五十二キロのこの島の地勢、産物も絵描きの田山先生によってすっかり踏査されています。まず最も重要な水の手ですが、さして高くもないこの島唯一の山、海山北麓に三つ、南麓に二つの清水が滾々と湧き出しておりました。

[エリサの突然の失踪により、惜しくも中断。海山はエリサの使う多くのペンネームの一つかと思われる。恋多き女エリサは介山にも恋をして、いまごろ大菩薩峠を彷徨っているのかも知れない]